自然と太陽光パネル

自然(山水緑・動物)
<特急「あずさ」からの車窓風景>

photo by S.Nozaki

~調和した姿が長期的なメリットになるのでは?~

特急「あずさ」で小淵沢―立川を往復する道中で、車窓風景を肴に地酒や地ワインを味わう楽しみは何物にも代えがたい。裾野の広い南アルプス、奥秩父の山並み、田園や果樹園、雑木林、そして地域の営みを感じる人々の姿。本当に心が休まるひと時である。酒も美味い。

そんなひと時に何とも言えぬ不協和音が飛び込んでくる。「太陽光パネル」だ。今後クリーンエネルギーを確保していくために太陽光は大変貴重な資源であることは誰もが認めるところであろうし、いろいろとトライしていくべき分野だと思うが、景観をぶち壊していると感じるのは私だけだろうか?もう少し周辺環境との調和を考慮出来ないものであろうか?

<思わずうなってしまった光景>

photo by S.Nozaki

具体的には景観美である。パネルを一旦設置すれば20~30年(50年との話も聞く)は使用するわけであるから、仮の姿ではなく、周辺景色との調和・用地の整備等を考慮して、家を建てるが如く設計してほしいものだ。初めて中央線沿線に設置されたいくつかの太陽光パネルを見たときは腰が抜けそうになった。SDGsをお題目に行政・民間一体となって進めているのであろうが、SDGsの中では「つくる責任 つかう責任」「陸の豊かさも守ろう」と言った目標も掲げていたはずだ。「クリーンエネルギー」確保だけに思い切り振りきった現在の取り組みが長期的に我々のメリットになるのか、はなはだ疑問である。SDGsとは言い難い。

<同じく中央線沿線の太陽光パネル>

photo by S.Nozaki

一方で、周囲との調和をよく考えているな~、これなら長続きしそうだな~、と感心する様な設置場所もある。高根町の我が家の近くには、広大な敷地に芝を敷き詰め、そこに整然と太陽光パネルが設置している一角がある。ここは手入れが行き届き、パネルの反射と南アルプスの遠景が溶け込むように馴染んでおりあまり違和感がない(民間のお宅なので写真でお見せできないことが残念だが)。むしろ美しく見える時もある。ほかに中央線沿線でも悪くない設置場所も散見される。

長く使用するものだから、単なる発電機と考えずに、「建物」であることを意識した取り組みを期待したいと思う。自然の力を頂くのだから、その自然の景観を十分意識したクリーンエネルギーの確保を進めたいものだ。

ところで、京都は景観条例なるものがあるそうだが、京都の郊外に太陽光パネルが設置されるようになったら日本も終わりかな。もう設置されちゃっているのかな?

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