41年ぶりの飛騨高山、素晴らしい

小さな旅
<町中を流れる宮川にかかる「中橋」>

photo by S.Nozaki

誰もが記念写真を撮る場所。41年前もそうでした

 

~あの頃を思い出しながら小京都を満喫~

社会人となった1982年の秋以来、41年ぶりに飛騨高山を訪れた。八ヶ岳南麓で知り合った飲み仲間から「素晴らしい料亭がある」とのお誘いを受け、松本から濃飛バスで高山に向かい現地で落ち合った。遠いかなたの記憶を呼び起こしながら散策した高山は、日本人として大切にしたい町だと心から思った。初めて訪れた時は、会社の入社研修が終わりかけた心身ともに疲弊していた頃で、同期と一緒に気晴らしに下呂温泉から高山を弾丸ドライブしたため、旅の記憶はほとんどないが宮川にかかる赤い橋(テレビの天気予報に登場する場所)は印象に残っている。あれから41年が経ち会社勤めも終えた身分で訪れると、落ち着いて高山の魅力を満喫することが出来た。素晴らしい街だ。

飛騨高山へは、車以外では名古屋から特急「ひだ」で訪れるのが一般的かと思うが、今回は山越えを経験したくて松本からバスを利用した。欧州系らしい観光客が数名、東南アジア系の方が数名、日本人は私を含めて4名だけだった。中国人がいなかったのは意外ではあったが、現在の国情を反映しているのでしょうかね。懐かしい穂高への入り口「新島々」を経由して平湯温泉でトイレ休憩、高山までは2時間15分ほどかかりましたが、途中の山間の景色が素晴らしくあっという間の小さなバス旅行でした。しかし、よくもまあ、こんな山間の厳しいところに道路を切り開いたものだと日本人の底力に感心。昔は、野麦峠や安房峠を歩いて越えていたんですからね~。

<松本から平湯への急峻な山道>
・大型バスの運転手さんに命預けました

photo by S.Nozaki

 

高山の町は1時間も歩けば、大方の輪郭はつかめる。特に楽しいのは宮川沿いの古い町並みだ。造り酒屋、民芸品店、飲み食い処、美術館や記念館、お土産屋さん、そして、お昼まで開かれている朝市(宮川朝市と陣屋前朝市の二か所)等々、全く飽きない。そして、北欧系・ラテン系・東南アジア系の外国人観光客が非常に多かったのは意外だった。半ば中国人に占領されているのかと思っていたが、北京語が飛び交っていることはなかった。中国系の人にも出会ったが、身なりと言葉から台湾人だと直ぐに察しがついた。国籍を問わず並んでいるお店が、飛騨牛のにぎりや串焼き屋さん。ブランド化して大成功しているビジネスでしょうね。実際美味いと思う。

<宮川朝市と飛騨牛にぎりのお店>
・寒いけど歩いていて楽しい

photo by S.Nozaki

夜になるとネオンが灯る通りが其処彼処に。古いつくりの家族経営のお店がほとんどであり、そのためお代もお手頃である。この日、一軒目はお好み焼き屋さん親子で切り盛り。漬物ステーキなるローカルフードにはびっくりした。二軒目は本命の割烹へ。此処はご夫婦で仲良くお客様を迎えてくれ、この日は私と八ヶ岳の仲間二人きりでしたので、とっぷりと地元の話を聞けて大満足でした。もちろん料理も最高。ちなみに琵琶湖のモロコやとれたてのフキが前菜に出された。政治家や大物映人もお忍びで通ってくるそうです。三軒目(まだ行くんかい!)は地元感コテコテのスナック。ここも家族経営。良いワインから珍しいウイスキーを置いて、つまみも手作りで出してくれる。
呑み助には懐かしく楽しめる町です、此処は。ほぼ全てが個人店の良さが漂っています。その点は横浜の野毛に似てますね。

<今回お目当ての割烹「船さき」 飲み仲間のご推薦です>
・残念ながら店内写真撮影不可。一枚板のカウンターで料理を満喫

photo by S.Nozaki

<高山のソウルフードの「漬物ステーキ」>
・卵でとじてモリモリ食う。赤かぶ漬けも入ってるよ

photo by S.Nozaki

十二分に満足して、帰路は連れのアウディーに同乗して北杜市高根町までのドライブを楽しんだ。途中峠越えの際には降られましたが、雪道も旅の楽しさを醸してくれます。本当に素敵な旅でした。なお、飛騨高山が幕府直轄地になる前に当地を収めていた金森家初代の直近氏は多治見の大畑生まれと知りました。多少のご縁があるのは嬉しい。

<平湯近くの雪道>
・アウディーAWDでスイスイ。でも慎重に

photo by S.Nozaki

41年前は「これから会社でやっていけるかな」と同期の誰もが不安に思っていた時期。その後、何とか社会の荒波 時には津波を乗り越えてここまでたどり着いて、同じ場所を訪ねてみると、すこしゆとりをもって旅を楽しめるようになった。時代の変化も感じる。きっとそんな自分の記憶に埋もれた場所がいくつもあるだろう。後10年動き回れるとして、そんな場所を掘り起こしたいと思った小さな旅。次の場所は、さだまさしの「案山子」と重なる「津和野」あたりかな。

コメント