photo by S.Nozaki
何気ない話を当時の市長さんが語ってくれている
~年末年始に心を洗濯する場所~
多治見に居を構えたのが1990年の夏。それ以来年末年始に多治見にいる時は必ず訪れる場所がある。土岐川に架かる国長橋のほとりにある「頌徳(しょうとく)碑」だ。昭和39年当時の多治見市長加藤鐐一氏が建てたものだが、今は目を向ける人は少なく寂れた感が否めない。
引っ越し当初から自然豊かな多治見が大変新鮮で、時間があれば近隣を散歩していた。土岐川の土手もお気に入りの場所であり、そこでワンカップを片手にのんびりと仕事を忘れる時を過ごすこともしばしばであった(マナーが悪かったかもしれないですね)。とある日そんな土手沿いにひっそりと佇む碑を見つけた。そこにはどこにでもあるような話が刻まれていたが、仕事に忙殺されていた当時の自分にはとても懐かしい暖かい昔話に遭遇したようなやさしい気持になったことを思い出す。
そこにはこんな話が刻まれている。
「嵐の跡、新田や弥さんがいつものように、この千手観音さまにおまいりに来ますと観音さまが倒れていましたので三人の学童に手伝ってもらい、元の位置に直しました。そしてか弥さんはそのよい子らにごほうびしようとしましたが三百円持っていたはずが二百円しかなかったので探していると二万六千五百円入りの包が落ちていました。正直ばあさんのか弥さんは観音さまのさずかりものだからと観音さまの修理に充てる様にと更に自身のお金を千円たして区(今の多治見市)に託しました。区民は感激し、呼びかけて区民から十三万円余円が集まりこの堂宇は再建されました。実に珍しい今の世相ゆかしい話で後世に語りついで鑑としたいものです。
昭和三十九年十月 多治見市長 加藤鐐一」
(こらぁ~!国会議員ども聞いてるか!聞いてないよね。)
<千手観音様 柵に守られっちゃってます>
・いたずらする猛者もいるのかしらね
他愛のない話だが、投資コスパが良いの悪いの、努力は報われるとは限らないだの、優しい奴ほど損をするだの、そんな話を聞くたびに「そういう議論はあってもいいけど、人間として大切な気持ちを忘れちゃいけないよね。人生損得だけじゃないでしょ!」といつも思う。自分の行動が全て報われることはあり得ないけど、だからと言って見返りなさそうだからと何も行動しない人生は寂しいよね。
この碑が建てられたのは昭和三十九年十月、東京オリンピックが開催された時だ。以降日本は高度成長期を迎え人々の心も少しづつ変わっていった転機だったかも知れない。当時の加藤市長はそんな世相に何かを感じ取ってこの碑を建てたのかな。
さあ、年末の心の洗濯は出来た。来年もこうした気持ちを忘れずに人生損得抜きで楽しもうっと。
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