photo by S.Nozaki
主峰赤岳の残雪が少なくなると田植えの季節となる
~何気ない幸せを感じる日々に思う~
ゴールデンウィーク前後、田んぼに水を張る様子が目立ち始めた。夕方になると冬眠から目覚めた蛙の鳴き声も喧しくなり、そして、彼らを狙っていつの間にか白鷺が飛来し縄張り作りを始めている。土と引き込んだ水を馴染ませて田植えに備え、早いところでは田植えも始まった。秋の実りへ向けたスタートだ。桜の花が散ると、『さあ、もう汗を流して働く時期になったよ。また秋まで頑張ろうね』と自然が語りかけてくる。季節が巡っていることを改めて実感する。良いですよね、この感じ。この先、あと何回『この感じ』に身を置けるのだろうかとも思うが、だからこそ代えがたい幸せを感じるなぁ~。生きていてよかった~。
<早々と田植えを終えた水田>
・水面に駒ケ岳と鳳凰三山が映り込む
私が働く岩原果樹園では、サクランボの受粉を終え早々と小さな実がなり始めた。もう直ぐ500円玉くらいの真っ赤な粒に育ち、6月には収穫が始まる。昨年夏、20リットルのバケツで何十杯も水やりをした桃の木の苗も実を付けるだろう。新たに開墾した葡萄畑や白州の広大な農地にも、次の恵みが着々と育っている。雑草刈り、肥料・堆肥撒き、鹿よけ設置等々ちょっと気が遠くなるような作業もあるが、果樹と共に季節の流れに乗っている幸福感がある。会社員時代は流されている感があったが、今は一緒に流れている感覚だ。
我が家の庭では、一昨年植えた桃の木が小さな実をいくつも付けてくれた。鹿に葉っぱを食べられて枯れるかと心配していた林檎の木は、この冬を乗り越えて可愛い花をつけた。柿は豊作になりそうだ。小さな胡桃の苗木には早々と実らしきものが成っている。梅もブルーベリーも順調そうだ。寒肥をやり養生をし、素人なりに剪定し、病気の葉を落としてきた。どれだけ収穫が望めるかは未知だが、この少しずつ進んでいる感じが嬉しい。おそらく来年の今頃も同じ様なことを感じているのだろうが、この繰り返しが幸せを感じる源泉なのでしょうね。会社員時代に尖がっていた心が少しずつ丸く削られていくのが分かる。怒ることも随分と少なくなった。それ故に、あの時何であんなことを言っちゃったんだろうとか、やっちゃったんだろうかとか、フーテンの寅さんのごとく「反省」の日々である。
<小さな小さな桃の実>
・昨年は一つだけの実がなったが今年は鈴なり!有難う
<可憐な林檎の花>
・葉っぱは鹿さんの好物らしい
今日、お世話になっている病院の会計でこんな場面に出くわした。おばあさんが診療代の450円を1万円札で払おうとしていた時だ。事務の方が「細かなお金があればそれで払っていただければ良いですよ。お財布重そうだしね。はい、じゃあ此処から100円貰いますよ」と親切に支払いのお手伝いをしていた。お年寄りは、小銭で支払うための計算が面倒だから1000円、10,000円札で払い、お釣りの小銭が大量に溜まる傾向がある。この事務の方は単に親切と言うのではなく、お年寄りの様子を見ながらいつも何気なく手を差し伸べてくれている。私よりちょっと年下くらいだと思う。どんな人生を歩んで来られたんだろうな。
八ヶ岳南麓に移り住み、果樹を育てることに携わり、何気ない季節の流れによって棘が抜けていく様な感覚がある。今年67歳となり、この先未だ長いかも知れないし、明日この星から去るかも知れない。が、この先の人生、八ヶ岳南麓が与えてくれた何気ない幸せを多くの人への感謝の気持ちでお返ししたいなと、あの事務の方を見てふと思った次第だ。
なお、上述の病院では昨年末に体調を崩してお世話になった。あの時は気持ちの余裕がなくなってお酒も(そんな時に飲むか?)美味しくはなかったが、今は快調!健康も大切です。
<付録>
寅さんが、人生に悩む甥の満男に「おじさん、人間は何のために生きているんだろうな?」と聞かれたときに、「そうよなぁ~。ほら、『ああ、生きていてよかったなぁ~』って思う時があるだろう。その時のために生きてんじゃねえのか。 そんな難しい話聞くなよ、頭痛くなっちゃたよ。」と答える場面がある。蓋し名言。
<「男はつらいよ」全48巻+特別編>
・下手なことわざよりも寅さんの一言!
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