photo by S.Akutsu
八ヶ岳にも来てくれた超元気な三人衆だ
~八ヶ岳と多治見から更なる成長を祈る~
2024年8月30日(金)、長男がアメリカ留学に旅立った。妻と東京で落ち合い羽田からの出発を見送る予定だったが、迷走台風10号の影響で移動がままならず、それぞれ多治見と八ヶ岳から向こう二年間の無事を祈る見送りとなった。ただ、大変有難いことに、川崎に住む姪っ子が可愛い子供三人と羽田まで車で送ってくれて、スーツケース二つを抱えた長男は大変助かった。有難う!
なお、台風の影響で24時間テレビを決行するかしないかで騒いでいたみたいだが、寄付金横領番組が未だに企画されていたのにはあきれた!まさしく「愛は地球を救う」じゃなくて「愛は(落ち目の)芸能人を救う」だな、まったく。
我が一家は各務原(次男)・多治見(妻)・サンフランシスコ(長男)、そして八ヶ岳高根町(私)と木枯し紋次郎状態が続く。子供は独立していくわけだから、まあ当然と言えば当然だ。自分も我が儘で「デュアル・ライフ」を楽しんでいるのだから。もう4人が一緒に住むことは二度と無いだろうと、改めて考えると寂しいが、子供たちがそれぞれの人生を自ら切り開いて進んでいる姿を見るのは嬉しいし頼もしい。アメリカに遊びにも行けるし(笑)。
思い返せば、家族4人が揃って暮らしたのは9年間だけだ(9年間も、かな?)。そのうちロサンゼルスで過ごした4年間は、仕事は厳しく辛かったが、異国で生活していくために家族の繋がりはとても強かった様に思う。生存本能でしょうかね(笑)。英語学習、通学、買い物、車の運転、日本人同士と隣近所との交流、犯罪への備え等、日本と異なる環境でそれぞれ頑張ったし、沢山の思い出を残すことが出来た。各自それなりの辛い経験も少しはあるだろうが、自分はあの頃に戻れたらなぁと今でも思う。
米国駐在の際、自分は家族に先立ち、1999年1月4日に渡米し、先ずはホテルに滞在しながら家を探し家具類を揃え生活の基盤を整えた。そして待ちに待った3月19日に3人がロサンゼルス空港に無事到着した時は、本当に嬉しかったし、下調べをしていた様々な場所に連れて行きたいとワクワクしていた。有難かったのは、米人のビジネスパートナーの方々がとても良くしてくれたことだ。どこの店が美味しいとか、何番ストリートより北に行くと危ないとか、お前の英語は此処を直せとか、、、家に招待してくれることもあった。初めて家族を連れて入ったレストラン(たしか名前は「オリーブ」だったかと)では、隣にいた米人から、日本人か?仕事は何をしているんだ?子供は何歳だ?困っていることはあるか?この街はどうだ?等々、彼らの人懐こさに触れて新鮮に嬉しかった。
<1999年3月19日 成田出発前の3人>
・妻は日本とアメリカで二回誕生日を迎えた。次男は何も覚えていないそうだ。そりゃあそうだな
<とある米人パートナー宅を訪れた時の記念写真>
・彼らは私の北京駐在時に訪ねてくれた。今でもFBを通じて交流している
家族全員で楽しく過ごした4年間は、もう20年以上前の古き良き時代のことかもしれない。今や、ポリティカル・コレクトが幅を利かせ、物価は大幅上昇、治安も更に悪化しているが、やはりアメリカの底力と自浄能力はどの国よりもパワフルだと思う。長男がそんなアメリカで日本では得られない力を付けて二年後に無事帰国することを願ってやまない。もちろん、あとから合流するパートナーとアメリカをいろいろ楽しんでくださいな。
私も、駐在から20年を経たアメリカをこの目で見てみたい。その時は、トランプかハリスか、どっちでしょうね~? 日本は?誰がなっても変わんないかな~。
<現地から届いた初の写真>
・無事に着いて何より。これから生活の基盤固めだね
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