昔話に出てくる八右衛門出口

生活と民俗や風習
<今もこんこんと湧き出て下流域を潤している八右衛門出口湧水>

photo by S.Nozaki

☆目立たないけど想像を巡らすと面白い

甲斐小泉駅から徒歩10分ちょっとのところに峡北の昔話によく登場する「八右衛門出口」と呼ばれる湧水がある。ドライブが楽しい泉ライン沿いにはあるが、標識は目立たずかつ周りは林なので車で訪ねる時はつい見過ごしてしまう。

400年以上前、谷戸八右衛門と言う者が山に狩りに出かけ山火事に遭遇し避難していると、まだ火がくすぶっている辺りの木の上に蛇を見つけ助けてあげた。数日たったある日、昼寝をしている八右衛門の夢の中に助けた蛇が現れ、湧水を導く「ようじ」をお礼に渡した。夢から覚めた八右衛門の手には実際にようじが握られており、それを地面に突き立てたところこんこんと水が湧き出たとの言い伝えが、この八右衛門出口の由来だ。

<高根図書館で借りて来た昔話の一節>
・蛇は豊穣神であり再生の象徴でもある

高根図書館蔵書より

崇神天皇が当地を巡視された際に湧き出る清水をみて五穀豊穣のためにと神社を建てられた大滝湧水や、南麓の農民総出で開拓し武田信玄の三角柱伝説も残る三分一湧水に比べると、見かけも言われも随分と地味な湧水だ。しかし、この昔ばなしの背景であったであろうことを自分なりに想像すると結構面白い。

<大滝湧水と大滝神社>
・私の飲み水。観光客も絶えない

北杜市HPよりダウンロード

<三分一湧水>
・真ん中の三角の石を武田信玄が置いたと言われている

北杜市HPよりダウンロード

 

今でこそ脇を泉ラインが走っている八右衛門出口だが、当時は木々に囲まれ昼でも真っ暗だっただろう。そんな林の中で獲物を探してさ迷っていた八右衛門が、偶々湧水地を見つけ脚色したのがこの昔ばなしの発端ではないかと想像してしまう。大昔から蛇は「豊穣神」として崇められてきた。人々にこの湧水を大切に使ってもらいたいがゆえに蛇を関係させた語り話としたのではないか。

また、下流の農民たちがこの湧き水を断りなく使うと、八右衛門は刺したようじを抜き流水を止めてしまった。困り果てた農民たちは八右衛門にひたすら謝り「水年貢」を払うことを約束し再び水を流してもらうことになった。ようじは水門であり、「水年貢」は費用の分担、と言うことだろう。昔は水をめぐる農民同士の争いが絶えず、だからこそ水流を使うルールがこうして出来上がって来たのであろう。三分一湧水の三角柱も、争いが起きない様に三地域に平等に水を流すために武田信玄が設置したと伝えられているのは、如何に水を平等に使うかが統治の要であることを感じさせる。

なお、昭和52年にこの谷戸八右衛門のご子孫が「八右衛門出口」と書いた石碑を立て、それは今でも残っている。

<苔むした石の上に立つ石碑>
・おそらくこれがご子孫の建てたものだろう

photo by S.Nozaki

我が家にも時折、神の使い蛇さんがやってくる。今まで見たのはシマヘビ・アオダイショウ・白い蛇(名前は分からない)だ。昨年は玄関前で脱皮までしてくれた。脱皮は成長や繁栄を意味し、お金がバンバン流れてくる兆候と言われている。まあ、その兆しは皆無であり、年金からでさえ税金や社会保障費がバンバンと税務署ひいては財務省に流れ、その先は不透明だ。現代の武田信玄が出てきてくれないかなぁ~!

なお、ここ2~3年自治会ポンプの揚水量が減ってきているので蛇さんを見つけたら願掛けしよう。

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