photo by S.Nozaki
☆ほんの一コマが人生を変えることも
淡いピンクの花びらが散り葉桜となり、そして埃っぽい季節になると必ず思い出すのが大学受験の失敗だ。もう45年近く前の事なのに心のどこかに深く刻みこまれ薄れることはない。そしてこの時期奇妙な夢を見る。世界史の勉強が間に合わない、願書を出すのを忘れた、試験に遅刻した、社会人になってからも何故か受験を続けている等々、様々であるが、いずれも当然夢見は悪く覚めると当時の事をまた思い返してしまう。この2~3年は大いに苦労をかけ亡くなった母親まで一緒に夢に出てくる。随分心配させたから、あの世から小言を呟きながらも「まあ、人様に迷惑かけていないみたいなので安心したよ」と苦笑いしているのだろう。
今でこそ八ヶ岳南麓でのんびりと自由に暮らして、「そんなこともあったなぁ」と酒を飲みながら振り返っているが、当時の自分にとっては人と違う道に迷い込んでしまうのかと底知れぬ不安の日々であった。「大学が全てではない」などと考える勇気も分別もなかった。
1年浪人させてもらいながらも希望の大学には弾かれ、まさかの2浪となるのかと現実を突きつけられた時は、何度も夢であってくれと心の中で叫んだものだ。専門学校でスキルを身に付けようか、もう働きに出ようか、もう一度チャレンジしようか、あれこれ考えながら桜が散った埃っぽい季節をふわふわと足が地に着かず過ごしていた。本屋さんに飛び込んでアルバイトで雇ってくださいとお願いしたこともあった。今考えるとよくそんな思い付きの様な行動が出来たなと当時の自分に感心する。結局、高校のバスケット部の同期の家が経営する神宮球場の売店でアルバイトをすることになった。もう、大学に行くのは諦めていたと思う。親には何も相談しなかったが、姉は行った方が良いよと言ってくれていた。思い返せば、体調を崩したり、パチンコ屋に入り浸ったり、酒タバコをやったりと、人生最低の時だったと思う。
ちなみに、父は尋常高等小学校(今の中学)までしか行っていない。祖父が早く亡くなり兄弟も多かったので家族を養うため進学を諦めざるを得なかったと聞いたことがあるが、あまり多くは語らなかった。その為か、私には大学に行って欲しいと小学校6年の時の担任に父兄面談で話したらしく、何かをしでかしてその先生に説教を受けている時に父の思いを聞かされた。だから受験に失敗して一番がっかりしていたのは父親だったのかも知れない。まあ、小さい頃から能天気で怪我ばかりしている少年は親の気持ちも良く考えずに成長してしまったらしい。
<あまりまともな写真が残っていない>
・親は心配していたと思われる

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アルバイトの仕事はヤクルトのスコールと言う清涼飲料を専用の肩吊り容器に入れて1本100円で、主にヤクルト戦の時に売り歩くことだった。1本で10円の歩合が入り一日3~5千円のバイト代が入った。昼大学野球、夜プロ野球のカードが組まれると一日で1万円位稼げた。悪くなかった。プロ野球ナイター試合の時は大体7回裏辺りで実質の仕事は終わり、最上段の通路で夜風に吹かれながら野球観戦していた。家に帰りプロ野球ニュースを見ていると時々自分が映っているのを見つけると微妙に可笑しかった。また、野球選手を間近に見られる特権もあった。法政の江川投手のヒップが物凄く大きく力強かったことと長嶋さんがとても気さくだったことをよく覚えている。
<懐かしいヤクルトスコール>
・当然野球は今もヤクルトを応援

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ソコソコ稼げて楽しいし、シーズンオフは何か別の仕事を見つければ、生きていけるんじゃないかと思い始めていた。まあ、今で言うフリーターだ。当時は何か自由なイメージがあり若者の間ではちょっと流行でもあったと記憶している。そんな時、大いに稼げる早慶戦で早稲田の応援席を回っていると「○○く~ん!」と私を呼ぶ女性の声がした。振り返ると高校の同級生だ。久しぶりに言葉を交わした早大生の彼女は、生き生きと輝きとても楽しそうだった。スコールを買ってもらいその場を去る時は笑顔で別れたが、もう別世界の人みたいだなと感じる寂しさが尾を引き、自分は今のままで良いのだろうかと何度も自問自答する中で辛い苦しい日々が続いた。結局、このままでは絶対後悔する、結果はどうなろうともう一度挑戦しようと9月から予備校へ通うことにした。
それ以降の半年間は、人生の中でも最も勉強した時期の一つとなり、学力も面白い程伸びた。結果、第一志望に合格し、素晴らしい友達に出会い、何事にも代えがたい経験をすることが出来、あの時の神宮球場での同級生との出会いは人生の転機だったと67歳になった今も感謝している。人生どう転ぶか分からない。あのままフリーターみたいな人生を歩んでいても生きて行けたとは思うし、意外と楽しかったかも知れない。でも、人生とは摩訶不思議なもので、あの時声をかけられた人生の一コマが自分の新たな行動の触媒になり今の自分がある。大学を落ちた辛い苦い日々だけでなく、そんな運命の様な一コマもこの桜散る季節になると思い出す。そして、あの時期を乗り切ったことで、自分のレジリエンスの土台が出来たと感じる。その後の厳しく理不尽なことが多いサラリーマン生活にも耐えられたし、今はこうして南麓生活を満喫できている。
八ヶ岳南麓に居を構えてからもいろいろな自然・生活・人との出会いがあった。真冬の鮮烈な八ヶ岳ブルーや初めての果樹園作業等は忘れることはないだろう。そんないくつかの人生の一コマを何年かすると桜散る頃に酒でも飲みながら静かに振り返っているんだろうな。
高校の同級生の約1割が既に鬼籍に入っているのは寂しい限りだが、これも人生だ。あっしはもう少し頑張りますよ。
<毎年堪能している南麓の桜>
・散った後のちょっとした寂しさは毎年同じだなぁ

photo by M.Yamaguchi
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