沁みついている小さな教え

人生雑感
<「玄関は家の顔」と言っていた両親>

☆南麓一人暮らしで思い出します

サラリーマン単身赴任時代は、スーツを着なきゃいけない・したがって革靴も磨かなくてはいけない・シャツにアイロンもかけなきゃいけない等とやや強制感の中で生活を組み立てていたが、定年退職後は気ままに南麓暮らしを楽しみ、時折多治見に帰る生活に大転換となった。当初は、南麓の家の中がどんなになるか自分でも心配していたが、意外にもつつましく綺麗に暮らしている今の自分に驚いている。妻が突然やって来ても「あれ、結構整理整頓出来てるじゃん」と小さな驚きを持つのではないかと密かに思っている。

根は不精だが、この歳になって亡くなった親から叩き込まれた「小さな教え」が沁み込んでいるのだと気付く。まあ、教えと言うよりは常日頃から両親がブツブツ言ってたことが三つあるだけだが。その一つ目は「玄関は家の顔、綺麗に整えておけ」だ。靴の並べの乱れは家の乱れ、お客さんを最初に迎い入れるところが乱雑では駄目だ、等と聞かされていた。自分は学校から帰ると靴を脱ぎっぱなしにしていたが、後で母が整えていたので自然と自分もそれに習うようになっていった。友達の家に遊びに行って玄関が乱雑だったりすると、「やっぱ、この子の家はこうなんだ」と生意気にも何かを感じることがしばしばあった。この小さな教えはこの歳まで知らず知らず実践してきた。南麓の家の玄関は農作業で泥だらけになるので放置できない。掃除は怠らずいつもスッキリして気持ちが良い。早朝、果樹園に出勤する時はシャキッとする。

二つ目は、「トイレの神様は綺麗好き」だ。何か歌にもあったなあ。大学に入るまで我が家は汲み取り式のトイレ、いや便所だった。流石に近所でもボットン式は珍しくなりつつあり友達を家に呼ぶのを躊躇うことが多かったが、母が毎日念入りに磨いてくれていたお蔭で恥ずかしいと言う思いは少なかった。幼い頃自分が汚した時にこっそりと掃除をしながら『神様、ごめんなさい』と言っていた「あの気持ち」は今もある。トイレに関してはいろんな教えをいろんな人から聞いた。「汚くなる所だからこそ綺麗に使いなさい」「皆が毎日使う所だから皆で綺麗にしましょう」等々。中国では「邪気が溜まる場所だから綺麗にしてしっかり蓋をしておくように」とも聞いた。ニーハオトイレの田舎は別かな。いずれも綺麗に使えとのことだが、日々の掃除は母任せだった。それでも一人暮らしをするようになると汚れたトイレは忌まわしく見え昔の母の様に掃除をする様になっていた。掃除を終えると本当に快便以上にスッキリする。これも沁み込んだ小さな教えだろうなぁ。今もトイレ掃除は全く苦ではない。趣味ではないが。

<どこに住んでも綺麗なトイレは気持ち良い>
・妻からはいろいろアドバイスが来る

photo by S.Nozaki

最後は「ご飯粒を残すと目がつぶれる」だ。これは極めてうるさく言われた。親父の出が農家だったせいだろう。残すと叩かれることもあった。でも、最後の一粒一粒まで食べるので箸の使い方は上手くなったし、おかずも残さないで食べる癖が付いていた。これにより、友達の家にお呼ばれした時に「まあ、最後まで綺麗に食べてくれてありがとうね」と言われる嬉しさと食べ物の大切さを経験値として学んだ。まあ、一方では、小学校二年の給食で出たポテトサラダがどうしても食べれなくて昼休みに一人残されて泣きながら呑み込んだ経験が暫くトラウマになったこともある。今は居酒屋に入ったら先ずポテトサラダを注文するのが不思議だ。食い物の恨みは味覚の変化と共に消えるものらしい。
因みに、今も自炊したものは残さず食べるので食器洗いがスッキリはかどる。

<今年も実りつつある北杜米>
・ここまで来るのは大変なのです

photo by S.Nozaki

こんな小さな教えが67歳になった今も頭の片隅に残っているが、人生をどう生きるかとか、将来の仕事をどうするか等、人生論的なことを親から諭された記憶は一切ない。むしろ親の背中を見ながら、時には反面教師にしながら自分の生き方を決めてきた。そうした人生を通じて「小さな事が出来ない人間、小さな事をないがしろにする人間には決して大きな事は出来ない」との考えが軸足になり、小さな事から先ず実行する習慣が身に付いたのは、親の小さな教え寄る所が大きい。この点は親に感謝している。八ヶ岳に居を構えてから、やたらと親の夢を見る様になったのはその気持ちの表れかなぁ。生きている時は随分とドンパチやったからなぁ。

ビートたけしが、「成功の要因が一つでもあるとしたら、何処に行っても便所掃除を率先してやってきたこと」と言ってたが、それは本当に共感する。人が嫌がる事を自らやる、当たり前の様にやる、綺麗ごとを言うのではなく小さなことからやる、汚いと文句を言う前に自分で綺麗にする、そんな考えが背景にあるのだろう。だから成功したのだろう。

67歳の今、どんなに素晴らしいことを言っている人でも、私に沁みついた「小さな教え」3点とかけ離れた生活を垣間見てしまうとどうしても距離を置いてしまう。もう少しルーズになっても良いかなぁ。

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