photo by S.Nozaki
☆他人と比較してもしょうがないと言うけど
南麓の畦道を散歩していると農家の蔵をしばしば目にする。蔵には「寶」「笑門福来」等と彫がなされており、これを見る度にちょっと複雑な気持ちになる。当然周辺には蔵がない家も沢山あり、そこに見えない線引きを感じてしまうのだ。実際はそんな線はないのだろうが、「隣に蔵が建てばわたしゃ腹が立つ」って言う言葉もあるくらいですからね。隣の青い芝が更に青く見えるんじゃないかな。
<家紋ならぬ宝紋>
・一生懸命働いたんでしょうね

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幼児体験とは恐ろしいもので、川崎の比較的貧しい地域で育った私は、家風呂の有無・テレビの有無・水洗トイレの有無等々によって引かれた見えない線引きが身に沁み込んでいるのだ。「○○ちゃんちは水洗だったよ」「△△さんの長男は塾に通ってるんだって」そんな世界だ。だから、こうした蔵は「あそこはお金が沢山あるのね~」と家々の線引きの象徴に見えてしまう。まあ、実際蔵のある家は地元リーダーであったり名士であったりと、働き者で人格者だから財を成したのだろうが、ひねくれた幼児体験を持つ私の心は見えない線を感じてしまう。
でも、こうした隣近所のモノを見て「よし我が家も頑張ろう」と一生懸命汗を流すインセンティブになっていた良き時代があったことは確かだ。幼い頃、氷で冷やす冷蔵庫が隣と同じ電気冷蔵庫に入れ替わり夏はいつでも冷たいものが飲めるようになったし、近所の家に集まってテレビを見ていた記憶が自分の家で自由に番組を楽しむ日々に変わり、たらいで洗濯していたがいつのまにか洗濯機が入って嬉しそうにしていた母がいた。隣近所と「モノ」を比較しながら、頑張ればお互いに豊かになれた高度成長期、見えない線引きが見えなくなった時代だ。
<思い出の中にある冷蔵庫と全く同じ>
・氷が小さくなると食べていたなぁ

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そんな時代を経て概ね日本も我が家も段々と豊かになってくると、自分の周りでは「学歴」が見えない線引きとなっていた様に思う。1970年代受験戦争真っただ中に身を置きドロップアウトした時は、順調にいった仲間との間に線があることを感じて強烈な劣等感が消えきれずにいた。でも、それをバネにして敗者復活戦に挑んだ。その頃のことは今でも春先になると夢をみる。
そして1982年、とある会社に就職すると、同期を横目に競い合いより高い「仕事の成果」を目指して走り続けた。そうした気持ちが潜在能力を発揮させてくれたし、逆にそのパワーが良からぬ方向に向けば道を外れて行ったこともある。結果は会社でのポジションに現れ、年下の上司もいれば年上の部下も持つようになった。それが当たり前の様に振舞ってはきたが、自分の置かれたポジションを他人と比べてみれば、心のどこかでは寂しさと悔しさと切なさや諦念みたいなものがあったり、優越感があったり、複雑な感情が消えることはなかった。「上を見て暮らすな、下を見て暮らせ」とか言うが、そんな境地の片隅にもたどり着いたことはない。未熟だったですなぁ。
こうして「モノ」「学歴」「仕事の成果」を他人と比べながら、時にはパワーをもらい、ある時はしょぼくれながら歩んできた人生だったので、定年退職する時、もう他人と比較しても仕方ない自由な世界に踏み込むんだなと少しばかり心が軽くなったのを覚えている。そして定年退職後の生活はどんなものか、先輩方のYouTubeを見ていると、しばしば「定年して幸せになるには、もう他人と比較しない事」と言ったアドバイスが、まるで定年後の悟りのごとく語られていた。また、退職後には「足るを知る」「比べるは我が愚かさ」と言う言葉もよく聞くようになった。
裏を返せば定年した先輩達も現役時代は他人との比較の中で辛酸を味わいながら生きてきたと言うことかな。そこから脱することが出来るのが定年後の生活なんだと諭してくれてるのかな。
会社を去った当時は「その通りだよなぁ~」と定年後の悟りの境地に入った気でいた自分だが、まだ現役でバリバリ働いている同期を見ると少し羨ましくもあり、逆に果樹園で青空の下で自由に動き回っている自分を少し自慢したい気持ちにもなる。結局そうなんですよ。人間、そんな簡単に他人と比較する性が抜けるものでもない。ましてや悟りなど啓けるわけがない。
<引退競走馬が暮らす清里ホースブリッジ>
・『走ることを止めて幸せだな~』

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あの鴨長明でさえ、俗世間に執着せず片田舎の庵で平穏の境地にたどり着いたはずが、その庵での暮らしに執着していた自分に気付いたんだから。
他人と自分を比べて羨ましく思ったり自慢したくなったり、隣に蔵が建てばわたしゃ腹が立ったり、自然な感情なんですよね、何歳になっても。そうした感情を自然なものだととらえ、南麓の自然がいつの間にか穏やかな気持ちの流れへ溶け込ませてくれるのを待てば良い。今はそんな心境だ。
お隣の 寶の蔵と 青い芝 南麓自然と 心に溶け込む
むしろ、この歳になって大切なのは、自分を他人に押し付けないこと。説教と自慢話と昔話はご法度ですな。そう、他人を不愉快にしないことです。これは心がけ次第で出来ることだし、自分が一番気を付けなければいけないことと自覚しております(笑)。
<いつでも癒しとなるこの光景>
・いろいろあっても結局この中に溶け込んで馴染んでくるんだよね

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