☆家族の歴史みたいにふと浮かび上がってくるよ
八ヶ岳南麓に住むようになって亡くなった両親の夢を頻繁に見る様になった。特に昔住んでいた川崎の家におふくろが出てくることが大変多い。この家にいた頃は両親にとても心配をかけていた時があり、一方孫が生まれて連れて行ってとても喜んでくれた時もあったから、私の深層に何かが溜まっているのだろう。夢を頻繁に見るのは南麓に移ったことがきっかけかな、と思っていたが、よく考えると今の自分と同じ年齢だった母親は、かわいい盛りの孫二人が米国駐在の私と妻と一緒に日本を離れ、以降は会うことがめっきり減ってしまったことを悲しんでいたと思う。頼りの長男が遠い地に赴任しかつ親父が病気で入退院を繰り返していたので、姉が同じ市内に嫁いでいたものの大変心細かったのだろう。私の息子二人が家を離れてしまった今、おふくろの気持ちは痛く申し訳ない程分かる。そんな贖罪の気持ちが夢を見させるのだろう。
両親が鬼籍に入り、血が繋がって所在が分かる人生の先輩は姉と叔父(おふくろの弟)だけになってしまった。その叔父とはおふくろの葬式後に挨拶に行って以来会っていない。子供の頃は覚えられないくらい親戚がいたが、今やどこで何をしているのかさえ分からない。交流のある年長血縁者は姉だけとなった。
その姉が今年も妻と共に八ヶ岳にやって来た。瑞牆湖、清泉寮、平沢峠で紅葉を楽しみ、隠れ家的なイタリアン、西井出の「qui」でちょっと奮発した夕食をとった。二人には今までにない経験だった様だ。此処は年に一回くらい楽しむのがお薦めだ。南麓の家では二人仲良く深夜までおしゃべりして楽しそうだった。姉とは小さい頃よくケンカをしていたが、流石に歳と共に落ち着いて来て今は斯様に家族ぐるみの交流が頻繁だ。この夏は姪っ子(姉の長女)家族が南麓に遊びに来てくれ、強烈で素敵な「少年時代」の様な夏の思い出を残すことが出来た。
<quiさんオリジナル前菜4種>
・全て地元の食材でまとめられている

photo by R.Nozaki
<メインのカモ肉>
・妻はぺろりと平らげていた

photo by R.Nozaki
その姉との子供の頃の思い出は沢山あるが、忘れられないことが四つある。
一つ目は、夏風邪を引いた自分のために、姉一人で水枕用の氷を自転車で買いに行ってくれたこと。母は店を手伝っていたので買い物もままならず、止む無く幼い姉にお使いを頼み、汗びっしょりになって氷屋から戻って来た事を私に話してくれた。身体が生まれつき弱かった自分は季節を問わず年中風邪をひいていたので氷枕はいつもの事だったが、はっきり覚えているのはよほど嬉しく有難く申し訳なかったのだろう。何しろ幼心ながら「この先、自分は大きくなれるのかな」と思っていたのだから。幼稚園の頃の思い出だ。そんなこんなを繰り返し、以降は悲しい位丈夫な身体になってしまった。
二つ目は、小学生時代、採集した昆虫を腐らせない薬を注射する際に、隣にいた姉の足にその注射器を間違って落として刺してしまったこと。姉は物凄く怒って泣いていたが、自分はどうすることも出来ず途方に暮れていた。姉が昆虫みたいになったらどうしようと。でも、姉はその後も元気に生きていた。まあ、こんなイザコザは数え切れないほどあったであろうが、「注射器」と言う冷たい響きが介在していたため鮮明に覚えているのだろう。姉貴、ごめんなさい。でも忘れてるかな。
三つ目は、クリスマスケーキの大きさを巡って大げんかし、姉に思いっきりケーキに顔を押し付けられたこと。この時は、鼻の中にクリームが入り込み、息が出来ず死ぬほど苦しかった。そして食べ物で喧嘩していた我々に激怒した親父にバケツ一杯の水をかけられ、ケーキが台無しになってしまった。あの頃のクリスマスケーキがどれだけ貴重だったか・・・。更に二人で部屋を掃除しなければならなかった。姉との喧嘩は食べ物原因が一番多かったが、まあこれは子供の常ですな。
最後は、中学生になった姉のお弁当だ。ある日、怒りながら姉が帰って来た。お弁当のおかずが焼き鮭一切れだけで死ぬほど恥ずかしかったと騒いでいた。どうも母と姉が喧嘩したのがきっかけらしかった。当時、自分は小学生で給食の恩恵に預かっていたので、その気持ちは分からなかった。自分のお弁当の思い出は赤いウインナーに卵焼きと海苔が定番だったので、焼き鮭一切れだけは嫌だなぁ~、と思いつつ、母を怒らすとお弁当で恥ずかしい思いをすると深く深く心に刻み込まれた。でも、中学に上がった時、お弁当を(多分)持って来られず近所のパン屋さんで菓子パンだけを買って学校支給の牛乳と共に食べていた仲間がいたことを考えると我が家はまだ幸せだったのかも知れない。この話、先日八ヶ岳を訪れてくれた姉に話したら今でも覚えていると言っていた。相当強烈な思い出だったのだろう。
<AIで示された鮭弁>
・当時、こんな弁当だったのだろう

Created by AI
こんな話をしていたら、子供達には「年寄りの昔話、自慢話、説教の一環ね」と間違いなくそっぽを向かれるのだろう。でも、自分はもう少し親父の昔話を聞いておけば良かったなぁと思うことがある。親父はあまり昔話をしなかったが、農家の長男だった親父は肥溜めをリヤカーに載せて都会から戻って来た時に友達に見られて死ぬ程恥ずかしかったと、2~3回話してくれたことがある。その友達の中に後に結婚したおふくろもいたのかも知れない。家族の小さな歴史って結構面白いかも知れないし、生きる知恵に繋がりそうな気もする。
人それぞれには、脳裏の奥底にしかない切なくも可笑しい思い出があるんだろうな。さあ、今日もそれを肴に飲むかな。


コメント