人相は生活習慣

人生雑感
<刻まれた眉間のしわ(笑)>

photo by S.Nozaki

☆今からでも遅くないよね

毎朝洗面所で鏡を覗くたびに「生き方ってやはり顔に出るものだなぁ」と思う事しきりである。顔の造りは生まれつきなので親を怨む以外どうしようもないが、いわゆる人相みたいなものは長年の考えや行動が積み重なって出来上がってきているのかなと反省する。自分が気になっているのは眉間のしわである。本人は何も難しい事を考えている訳でもなく、不機嫌な訳でもないのに常にしわが寄っているのだ。気になり始めたのは10年くらい前からで、指でしわを伸ばしたりクリームでマッサージをしたりしているが変化はない。調べたところもう治らないらしい。ヒアルロン酸を注入する施術があるが、そう言うことはしたくないので自然体でいくことにしている。

今から思えば、40~50代にかけて常に難しい顔をして仕事をしていた様な気がする。仕事の量と質の重み、人間関係の複雑さ、取引先や関係部署との駆け引き等々。サラリーマンにとっては宿命かも知れないが、それでも周りにネガティブな印象を与えずに穏やかな顔で仕事をこなしている人も沢山いた。自分も仕事は死ぬ程きつかったが、仲間に恵まれ生活が楽しかった米国駐在時代は、結構いい人相だったと記憶している。ただ、日本に戻り年次が上がるにつれ常に緊張状態に置かれる様になり、自然と眉間にしわを寄せた難しい顔をする様になっていったのだろう。周りにとってはいい迷惑だったろうな。部下は話しかけにくい時もあったろうし、家では親しみの薄い父に見えた時もあったろう。
そのしわが歳と共に生活習慣病の様に刻まれて斯様な人相になってしまったのだが、今は定年退職をしてそんな振り返りをするゆとりも出て来た。これからは高田純次の様に飄々とした生活習慣で生きて行こう。そうすれば自然と人相は穏やかになっていくだろう。折角八ヶ岳南麓に居を構えたのだ。今からでも遅くはない。

<まだ人相がよかった米国駐在時代>
・仕事は辛かったけど人相はさほど悪くはなかった

photo by S.Nozaki

その為には先ずは「腹を立てないこと=攻撃的な気持ちにならないこと」が肝要であるが、そう思っているだけでは実行は難しい。私の場合は、いくつかの心の呪文を用意している。例えば、ルールを守らない・約束を守らない人と接した時は「さようなら~。もう会うこともないね」、あれこれマウント気味に指摘された時は「それは気が付かなかった。有難う、流石だね~」、そりが合わない人といる時は「これが終われば家で酒が飲めるぞ」等である。要は心の持ちようを多少ユーモアっぽくおまじないにしておくことでしょうかね。
もう一つ大切なことは、「有難う」「ごめん」を口に出して言うことかな。人間何かしてもらった時の感謝の気持ちと、間違った時に謝る気持ちを忘れたらお終いだ。

<南麓の家の庭に住む狸さん>
・こんな感じで飄々と生きて行こう!

photo by S.Nozaki

 

果樹園の仕事に関しては、「お声がかかれば出勤する、用事がある・体調が悪い時は休む」、と決めたので重圧はなく、むしろ仕事をスムーズにこなすための工夫で頭を使うし、適度な汗もかくので気持ちは極めて穏やかである。まあ、こんな生活習慣を続けていれば、周りにこれ以上不快な思いをさせる人相になることもなく人生を全うできるでしょう。

松下幸之助さんが言われていた「人生の徳を積んだ分、晩年の顔に出る」を思い出す昨今ですなぁ。この星にさよならする頃には私の眉間のしわは薄れているかな。むしろしわだらけになってるかな。

<マイナス7度の中での農作業中>
・まだ徳を積んだ顔ではないな

photo by S.Nozaki

なお、最近思う「不快な人相」の代表格は、一部政治家の皆さんですね。例えば、おにぎりの食べ方や箸の持ち方は育ちの問題だから許すとして、国民を睨みつける顔は姿勢そのものなので受け入れがたい。国会の質疑を見ていると枚挙にいとまがないが、腹を立てると人相が悪くなるから先ほどのおまじないを唱えよう。

人相は生活習慣から滲み出てくるものだろうし、その人相そのものが周りの人達への優しさや思いやりに繋がっていく。若い頃は肌の色艶が良かったからごまかせていたものが今はストレートに出てしまう。年寄りこそ生活習慣を見直さないといけませんね。私の場合はお酒の量も見直すかなぁ。

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