photo by S.Nozaki
~ご先祖様は素晴らしい景観の中で町の移り変わりを見守っている~
我が八ヶ岳南麓小屋から歩いて2~3分の所に地域の共同墓地がある。山間の日当たりがとてもいいところだ。当初は墓地が近くに、それも見えるところにあるので、移り住むのに躊躇もあったが、何しろ明るくて眺めも極めて良いため此処に決めた。後々近所の長老に「兄さん(私の歳では未だ兄さんである)、お墓のあるとこってーのは、とても立地条件が良いんだよ。見晴らしや風通しは最高。そもそも皆が墓参りに来やすいところに埋葬するんだから」と教えていただいた。
確かに、どの墓地も素晴らしい眺めの所に位置しているし、そして明るい。周辺は田んぼや畑に囲まれており、地域の人々が日々農作業をしている姿がある。お彼岸の頃は、近所の方が家族連れで墓参りに集い、賑やかである。お線香の火も絶えない。近所連れだった墓参りだけでなく、お墓が住民の共同管理となっているため、地域の結束も自然と固くなる。
都会では、マンションのような納骨堂が増えてはいるが、未だ、お墓=お寺=ご住職と言うイメージも強いだろう。私も菩提寺に両親と祖母が埋葬されており、節目・節目では住職に経をあげていただいている。そして、都度、住職からいろいろな教えを拝聴する。私にとってお墓参りはお寺参りでもある。
高根町に通うようになってから都会との違いの一つとして感じていたのが、この住民が共同管理しているお墓の存在であった。仏教が広まる前は、当然ながら自然埋葬をしていたであろうし、死者を共同体皆で弔い、そして皆で埋葬したので、自然と共同で墓地の世話をするようになったのであろう。薄暗く雑草が生い茂った共同墓地を未だかつてここ高根町では見たことがない。墓地がしっかり管理されている共同体は大変上手く自治が回っているとも聞く。そうした大昔からの素地がある所にお寺が次々と建てられたのではないかな。
お寺との関係は未だよく調べていないが、ある方が「死者が出れば当然お坊さんにお経をあげてもらうよ。ただ、お墓は地域で管理しているよね。お彼岸の時はお坊さんにお墓まで来てもらうんだよ」と仰っていた。代々のお墓が素なんでしょうね。
多少、隣近所でいざこざがあっても、「ご先祖様がそっから見ているから変なことは出来ねぇ、なぁ」とお互い思いながら地域の結束が「さざれ石」の様に一体となってきたのが日本の原風景なのかもしれない。
コメント