photo by K.Yasuda
北杜市では、これなしでは仕事にならない。米国の農家でもブームとか
~忘れていた幼い頃の思い出が蘇る~
免許を取得して45年、様々な車を乗り継いできたが印象に残っているのは直列6気筒を乗せたセリカXXだ。当時トヨタのM型エンジンは吹き上がりが悪いだの重いのと酷評しきりだったが、それまで4気筒エンジンしか乗っていなかった自分は6気筒の静粛性に新たな車の素晴らしさを見出した。ずーっと乗用車を乗り継ぎ、今ここ果樹園の仕事ではもっぱら軽4トラックであちこちを走り回り、これまた新しい世界を楽しんでいる。うるさいし、埃っぽいし、時にはマニュアルミッションを乗りこなさなければいけない。でも、楽しいし何か懐かしく世界を感じるんだなぁ。
<初代 セリカXX 直列6気筒>
・中古で買って大いに楽しんだ
両親は川崎でオートバイも扱う自転車屋を営んでいた。新車が売れると多くのお客さんは心躍らせてその場から駆っていったものだ。時折、遠くからお越しいただいたお客様へは軽トラの荷台に乗せて、いわゆる納車に伺った。その時、親父の運転する軽トラ(スズキキャリーだったと思う)の助手席に乗せてもらうのがとても嬉しかった。一度、多摩川を渡り、繁華街の五反田を通り、華やかな都会を通り抜け、下町まで納車に連れて行ってもらったことがあった。周りを走る大都会の乗用車(当時はセダンばかり)が眩しく羨ましく見えた。軽4トラックの小ドライブは子供には十分すぎるくらいの刺激、小旅行であった。幼い頃は、いつも次の納車はいつかなぁ~とこの小さなドライブが待ち遠しかったものだ。
<幼い頃の多摩川 丸子橋>
・この橋が五反田や都心へとつながる。いつもワクワクして渡っていた
そんな思い出をなぞってみると、免許を取得して初めて運転した車が親父のスズキキャリートラックであった記憶が蘇ってきた。ドキドキしながら綱島街道を走り多摩川を渡り、東京中心部は怖いからまた舞い戻り、近所をぐるぐる回ったものだ。現在、軽トラを運転していて感じる懐かしさは此処からくるのだろう。
親父と納車にいっても何の役にも立たなかったが、商品を荷台に縛り付ける時にちょっとした手伝いをしたり、商品を降ろすときの誘導板を一緒にセットしたり、子供心にも働いている様なこそばゆい感情があったように思う。クルマと言えば、軽トラ、軽トラと言えば「働く」・・・そんな小さい頃の連想が染みついている。だから、今も、軽トラを駆っていると働いていると言う「自負」みたいなものが頭をもたげて懐かしいのかもしれない。
最近は、1.5トンや2トンダンプも使うようになったし、今後は重機材を使いこなすことも必要になってくる。この歳になって、再び働く乗り物にワクワク感を持つようになっている。こうした新鮮な心がなくならない様に今の生活に「働く乗り物」を触媒として上手に取り入れて、上手に働き続けたいものだ。
<いすずの2トンダンプ>
・意外と運転しやすいのだ。そしてパワフル!
<通称 バックホー>
・開墾の強ーい味方。来月には免許を取ります
明日は、久しぶりに多治見に帰る。この時は軽4トラックではなく、愛車ハスラーハイブリッドターボだが、デュアルライフを支えてくれる頼もしい車でのドライブだ。乗り物は楽しい!
<我が愛車 スズキハスラーハイブリッドターボ フルタイム4WD>
・ほんとはジムニーが欲しかったがあまりにも納期が長く断念!でもこの車には大満足!
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