photo by S.Nozaki
甲斐駒ヶ岳への登山口でもある。この日も名峰が臨めた
~そこでしか味わえない「きりたんぽ鍋」を堪能~
会社入社二年目の1983年以来ほぼ40年ぶりに秋田市を訪ねた。更に今回は初めて弘前まで足を伸ばした。きっかけは八ヶ岳の飲み仲間がJR東日本のお得な切符を見つけたので、いつもの三人で冬の東北を訪ねてみようと相成ったわけだが、要はどこか飲みに行こうと言う呑兵衛の本能的な行動である。この切符、1日JR東日本を乗り放題かつ特急指定席を2列車までとれる超お得なサービス。例えば今回のケースでは次のようになる。
① 日野春(山梨)から東京経由で秋田までを特急かいじと秋田新幹線こまちを乗り継いで行くと通常20,920円が10,000円!
② 帰路秋田から東京経由で日野春までを特急つがると東北新幹線はやぶさ、特急かいじで行くと通常21,840円のところ、11,580円(うち1,580円は特急追加料金)!
JR東日本様のお蔭で価値ある東北ツアーを堪能した。
日野春から東京駅に着き大丸地下食品売り場へ。なだ万等有名店が軒を連ね、本当に美味しそうな品物を並べたウインドウの前を多くの人が行き交っている。いつもは乾きもので一杯やっている身分ではあるが仲間とあれこれちょっとした贅沢品を仕入れて「こまち」に乗り込んだ。しかし、東京駅の雑踏を見ていると、これが30年以上経済が停滞していた国の姿なのかと不思議に思う。常盤橋辺りの再開発も凄まじい。一方、地方はどう変わっていくべきか?停滞先進国日本の深刻な問題ですな。
<イメージカラーが結構合っている秋田新幹線「こまち」>
・そうか小野小町は山形出身ですね。でも山形=美人との印象はないけど
8割がた席が埋まった「こまち」の中では早速大人の酒盛り。周囲に気を使いながらも、車窓の眺めと新幹線の揺れに心地酔いを満喫した。夜の「きりたんぽ」鍋まで控えようかと思ったが、一度燃料が入るとドンドンエンジンが回ってしまう。身体にあちこちガタが来ているとは言え、美味しく飲み食いできるのは大変有難い。こんな生活もあと数年しか出来ないだろうから、大人しくなる前に楽しまなくちゃね。それにしても仲間の二人はよく飲むなぁ~。何しろ初めて知り合った日に、三人で日本酒二升とビール1ダースですから。酔いが回ると、昔営業部門にいた頃の東北新幹線沿線への地方回り(大宮、宇都宮、仙台等)がいろいろ思い出された。しんどかったけど、充実していたなぁ。まあ、あの頃の無知な若造がここまで生きながらえたんだからご褒美としてのこんな呑み鉄も良いでしょう。
<昼前から豪勢な呑み鉄会>
・結局二日間ず~っと飲んでたような気がする、と言うか飲んでいた
秋田が近づき雪景色を期待していたが、残念ながら雨模様。地元の方は「こんな冬は初めてだ~⤴(語尾が少し長めに上がる)」と言われていた。八代亜紀の舟歌が流れる店で窓の外の雪景色を見ながら、きりたんぽ鍋を囲み熱燗で身体を温める様な場面を勝手に想像していたが、そうはならなかった。しかし、こてこての地元店「北洲」では絶品のきりたんぽ鍋を大いに堪能した。都会でのそれはとてもきれいなスープが整った味を出すが、こちらはまさしく地場の味。比内地鶏でとった出汁の味に加えて野菜の味、特にごぼうだろうか、がこってり出ていて最後の最後まで旨味が続く。これに日本酒の高清水や大平山を合わせると進む進む。仲間の一人が選んでくれた店、ここ「北洲」は地元民が集うお店として遍く知られており、まさしくここでしか味わえない味なのだろう。カウンターで一人地元の人らしき方が静かに飲んでいるのが印象的であった。雪の中でもう一度味わいたい鍋であった。
<味わい深い秋田すずらん通り>
・銀世界の時はもっとネオンは輝いて見えるのかな?
<地元の方々が集う名店「北洲」>
・秋田に来なければ味わえないきりたんぽ鍋を食べにえさけ(おいでよ)
<絶対に東京では味わえない鍋>
・セリがまた美味いんです
ホテルへの帰路は、飲み屋街のバーに寄りツーショット程楽しんだ。仲間の一人はコンテストで優勝する程有名な元バーテンダーで、かつ食通。彼によると秋田にはバー文化があるそうだ。確かに、仙台を除く県庁所在地ではバーの数が多い。飲み屋街にはドレスコードが指定されていたバーもあった。この点は、いろいろ調べてみると面白いかも。北前船、佐竹藩主、銘酒、そして秋田美人、どんな背景があるのだろう。
なお、三軒目にホテルのバーに立ち寄った。地方ホテルにしては珍しく24:00までの営業しており、う~ん、これもバー文化を現わしているのかも。何しろほぼ満員でしたから。
幸せな一日を終えて床に就いた時はかなり酩酊状態であったが、とても良い酒だったからだろう、記憶ははっきりしており、翌朝もすっきり目覚めた。二日目は興味津々の特急「つがる」で、初めての弘前下車だ。
思うに、年金生活に入りお金のこともあれこれ気にはしていたが、普段普通に暮らしてパートで働いていると意外とゆとりも出来る。多治見と八ヶ岳を行き来しつつ、時折、こんな形で思い出作りの旅に出るのは我らが世代の幸せな過ごし方なのかも知れない。高齢者ならぬ「幸齢者」なのかな?有難いことです。
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