photo by S.Nozaki
~馬を大切にする民間信仰~
近所を散歩していて気づいたことの一つは、「馬頭観世音」の小さな石塔があちこちに残っていることだ。決して立派なものではないが、周りの雑草などはきれいに整理され地元の方々が大切にしているのがわかる。 はじめは、仏教の六観音の一つ「馬頭観音」そのものかと思っていたが、あの怖い顔をした「馬頭観音」様の姿と、この道端にひっそりと置かれている石塔が結びつかず不思議に思っていた。確かに「馬頭観音」様の頭には馬が頂かれており、馬の守護神として信仰されていたとのことではあるが。
あれこれ調べてみると、「こうした馬を頭にいだく観音様の姿を見て、 馬とともに生活する昔の人々が馬の無病息災を祈る民間信仰が生まれた。つまり、農家では農耕馬の、馬の産地では生まれ育つ仔馬たちの、そして馬によってものを運ぶ人々にあっては馬と歩む道中の、それぞれの安全を祈ったり、死んでしまった馬の冥福を祈ったり、そんな理由で石塔は作られた」らしいことが分かってきた。
<清里の施設でくつろぐ引退競走馬>
ちょっとくつろぎすぎじゃない?
農家で農耕馬を使っていたことはその通りだし、小淵沢近郊は涼しい気候のために今も馬の飼育や乗馬が盛んである。また、甲斐の国では甲州街道は言うに及ばず、九筋:若彦路・中道往還・駿州往還・鎌倉街道・秩父往還・青梅街道・穂坂路・逸見路・棒道、と言われる古道が暮らしや文化を育んできた歴史がある。海のない甲斐の国に生活に欠かせない「塩」を供してくれたのはこうした路であろうし、おそらくそうした往来に馬が活躍していたことは想像に難くないと思う。また、競走馬が引退後の余生を送る施設がいくつか存在しているのも、そうした歴史が背景にあるのかな、と思いを巡らせてしまう。
仏教という大きな教義が、観音様の姿とともにじわじわと民間の暮らしの中で消化され「民俗」になっていく、そんな過程を垣間見た気がした。
なお、この馬頭観音または馬頭観世音の石塔は諏訪地方にも多く存在すると聞いているので、ぶらりと訪ねてみようと思う。
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