小さな命と花鳥風月

人生雑感
<もうこれだけで幸せを感じるなぁ~>

photo by S.Nozaki

☆南麓で感じる幸せとは

実家の多治見に帰るのは月に1~2回、時には全く帰らず南麓生活にどっぷり浸っている月もある。果樹園の仕事がない時は一日中誰とも話をしないことがあり、ボケを心配していた時期があったがそれは杞憂であるような気がする。ブログを書き、YouTubeを編集しソコソコ頭を使うことが刺激になっているし、家事は面倒だがそれなりに身体を使う。そして、南麓の自然からのインプットがこれまでの人生とは違う幸せを感じさせてくれる。

会社員時代、苦労はしたけど一番充実して幸せを感じた時は、ロサンゼルスに駐在していた4年間だった。英語環境の中で文化背景や習慣が違う仲間との仕事、日本とは比べ物にならないリスクの中での日常生活、子供たちへの現地教育に対する期待や不安、そうした環境下で生きていくための本能的な家族の繋がり。どれを思い返してみても濃厚な日々だったし、幸せを感じた時も憤りが渦巻いた時もいずれも「周囲の人間関係」が起因していたと感じる。そして乗り越える力は家族との関係に寄るところがほとんどであった。その時感じていた幸せは、今のものとは違う。

<4人で団結し頑張った駐在員時代>
・今や4人それぞれ 木枯し紋次郎一家状態です

photo by M.Sakai

日本では、上司の言うことがまともでなくても組織としては従わなくてはならない時の不満と不安、素晴らしい人格者と一緒に汗をかける高揚感、怒鳴りたくなる同僚とプロジェクトを進めなければならない憤り、同じ目標に向かって共に進み達成した時の厚い友情、どれも人との関わりから感じることばかりだった。そして定年後は、会社帰りに一杯やることが無くなり年賀状は既に遠慮させていただいている。人間関係が希薄になりつつあると言えばその通りではあるが、南麓の自然の中に身を置いてそうした人間関係に一喜一憂されずに人生を味わうことが出来る様になったと言うことだろう。現在も、周りに付き合いたくない人はいるし時折嫌な思いをすることもあるが、今の心境としては気にならない、気にしてもしょうがない。

<会社員生活 定番のカラオケ>
・こてこての人間関係が組織を動かしていた

photo by U.N.

居を構えて4年目、古希が間近になって、自然を眺めるだけで幸せを感じられる「心の落ち着き」が出てきたのかなと思う。庭に住みつく小さな蛙を眺めては「おう、頑張ってるな。蛇に食われるなよ」と呟き、僅か3センチの実を付けてくれた庭の林檎の木に「初めての実だな。こんなに小さいのは肥料が足りなかったからかな。寒肥はしっかり効かせるよ」と約束したり、都会ではまず見られないオニヤンマを見つけ「あのスズメバチをも食べてしまうと言うオニヤンマは君か!」と驚嘆したり、電灯がない農道をまるで昼間のごとく明るく照らす満月を見上げて「あれ、やっぱ月にはウサギがいるじゃん」と子供の頃を思い出したり・・・。こう言うのを花鳥風月って言うのかな?そうした人間が全く介在しない時を過ごしていると、これまで感じていた幸せとは違うものがある。幸せではなく、人生を折り返して行く充実感と言っても良いのかも知れない。

<何匹か住みついている蛙君の一匹>
・これから色が茶色くなり冬眠準備に入る

photo by S.Nozaki

<初めて実を付けた庭の林檎の木>
・小さくても色づいて来た時はとても嬉しかった

photo by S.Nozaki

<此処でも時折しか見かけないオニヤンマ>
・7センチはある巨体だ

photo by S.Nozaki

 

都会に暮らしていても、そんな一瞬一瞬があるだろうが、再び否応なしに人間関係の中にどっぷり浸かってしまうし、田舎ではベタベタな近所付き合いがあるので場所によっては耐えられない人もいるだろう。今の私は人里離れた僅か8戸の別荘自治会「萩ノ里」に身を置き静かに暮らして小さな自然の動きに心を洗われている。自治会仕事や果樹園の労働、時には旧友との交流と適度な人間関係の刺激もあり程よい空気感の中で暮らしている。感謝ですね。おそらく、私がいない多治見では妻が此処とは違った空気感の中で人生を満喫しているはずだ。お互いそんな幸せがあっても良い。

<「萩ノ里自治会」付近に咲き乱れる萩の花>
・こんなに咲いたのは私が来て初めて

photo by S.Nozaki

ただ、心地良くて晩酌がすすみ過ぎているのでその点は気を付けたい、と思っているが、やはり今宵も一杯やってしまうのである。

「蛙さん オニヤンマさん お月様 何気ないから 今宵も一献」

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