皆が集うお寿司屋さん

生活と民俗や風習
<旧道沿いに静かに店を構える「魚竹鮨」>

photo by S.Nozaki

☆私はいつも一人飲みであります

4月7日(月)昼、家から徒歩30分、お気に入りのお寿司屋さん「魚竹鮨」で海鮮丼を肴に一杯やっていると、小奇麗に正装をした6人家族が入って来た。その内の二人の子供は小さなブレザーに花印を付けている。ピカピカの1年生になり入学のお祝いでお寿司を食べに来たのだろう。元気な声が響き楽しそうだ。お店の人とも馴染であるのが分かる。一人の子が「納豆巻!」と大きな声で注文したのには笑ってしまった。私だったらもっと高いものを頼むのになぁと思いながらも、子供さえも馴染み客だと感じさせる振舞をするのには驚いてしまった。そして、山梨県は人口当たりの寿司店数が日本一であることを思い出した。

<高根東小 入学式>
・今年は二組39名入学だそうです

photo by S.Nozaki

寿司屋さんが多い理由はいろいろと言われている。一つは静岡の吉原と甲府をつなぐ中道往還道の存在。この道は本栖湖と精進湖の間を通り、旧上九一色村・左右口(うばぐち)そして甲府へとつながる。江戸時代は翌日には生魚を腐らせずに甲府まで運べていたので、甲府は生魚を運べる「魚尻線」ぎりぎりのところにあったわけだ。そこで、酢締めしたり、ズケにしたり手を加えて食する文化が定着、広まったと言われている。寿司の消費量が多い栃木県の宇都宮もこの「魚尻線」に位置していると聞いたことがある。

<中道往還の概略>
・グーグルマップで検索すると旧上九一色を迂回して徒歩19時間と出る

Google Map

もう一つは、ハレの日や無尽講の時に皆で集まってワイワイと美味しいものを食べる風習があり、海の魚が手に入るようになると、美味しいもの=生魚又はそれに手を入れたもの、となってきたこと。まあ、内陸地だから海のものへのあこがれもあったのだろう。魚竹鮨で一杯やっていると、必ず少人数の団体さんがやってくるし、予約した寿司折をいくつも持ち帰る人がいる。皆で集まって寿司をつまむ風習がここ高根町にも根付いてきたのだと感じる。

そんな風習に関係なくカウンターで一人飲みをしているのはいつも私だけだ。初めて魚竹鮨の看板を見つけた時は、「こんな山奥に寿司屋さん?不思議だな~」とこわごわ暖簾をくぐったものだが、なかなかいいネタを出すので驚いた。以来、月1~2回通っている。お店は繁盛と言うわけではないが、地元にしっかりと根付いている感がある。板さんは無口だがちょっとした気遣いがあるし、若旦那と女将はとても親しみやすい。

今日、入学式と言うハレの日に此処でお寿司を食べた二人の子は、また何度か家族で美味しいものを食べに訪れるだろう。そして彼らが新しい家庭を持つ時、彼らの子供たちが入学式を迎える時、此処にまた集うのかな。そんな事を考えながらほろ酔いになり、とても心和む春の一日でした。

なお、自分の小学校入学式の記憶は何故か全くない。幼稚園入園の時は、園長先生のひたいにあるイボを「おじさん、これ何?」とつねったので後で母にこっぴどく叱られたのを微かに覚えているが。小学校初めて通知表を見た親父が「こりゃ駄目だ・・・」と呟いていたと母が後に教えてくれた。学校の記憶がないから、この頃は何か別の事に興味を持っていた子だったのかも知れない。だから入学式の思い出もないのだろう。しかも常に悪さをしてどこか怪我をしていた。
でも、こうして人様に(大きな)迷惑をかけずに生きてこられた。そして、今は一人で寿司をつまんでいる。67年も生きてくれば揉まれ揉まれて成長するのである。

<小学校入学前と思われる写真>
・その後、親の期待を大いに裏切ることになる

photo by K.Nozaki

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