photo by S.Nozaki
~南清里で元気をもらいました、鯉のぼりに~
子供の頃、5月の節句に鯉のぼりを上げているのはお金持ちの家庭だと思っていた。だから五月人形を飾るなどは当然あり得ない家庭に育ったが、そんな中でも柏餅をほおばっていた五月五日の思い出は今でも両親の愛情を感じた美しい思い出として残っている。貧乏だったことを全く嫌だと思ったことはないのは、周りが皆同じような境遇だったし、それが当時の日本は当たり前だった。
とは言っても鯉のぼりを上げたいなと思っていたことは確かであり、小学校で紙細工の鯉のぼりを作ったときはとてもワクワクしたものだ。そして新聞紙で兜を折ってそれを被ってチャンバラごっこなどをしていたあの頃は、工夫をしながら節句を皆が楽しんでいた様に思う。
良い時代だった。が、今でも素敵な場所を訪ねてみた。南清里の道の駅には毎年子供の名前を記した鯉のぼりが谷にわたされる。壮観だ。少子化などと言っているが、こんなに多くの親御さんが子供の成長・幸せを祈願しているんだなぁ~と思うと、「日本、もっと頑張ろうぜ!!」と叫びたくなる。
八ヶ岳南麓では、今も大きな鯉のぼりを上げる家が少なくない。昔は都会でも普通に見られた光景だ。マンションのベランダで見られた時もあったが、今は蛍族がタバコを吸っている。子供を大切にする文化・風習が寂れてこないか、とても心配だったが、こちらに来てとてもほのぼのした平日に遭遇したことがある。
平日3時に近くの小学校から放送が流れてくる。「地域の皆さん、いつも私たちを見守ってくださってありがとうございます。これから、私たちの下校の時間になります。今日も見守りをよろしくお願いします。」と子供らしい言葉づかいで。地域で子供たちを育てようと言う気になりませんか?
<地域を応援するおじさん>
この精神は地域の宝だと思う。私が育った川崎でも、登校と下校の時は「緑のおばさん」がいつも道路横断を見守っていてくれたし、近所の口うるさいおじいさんやおばあさんが集団登校を見守っていてくれていた。
ここ高根町では、横断歩道を渡ろうとしている子供がいると必ず車は止まり、そして渡り終えた子供は「ありがとうございました」と大きな声でこたえる。まさしく彼らは鯉のぼりだ。応援するよ、おじさんは!
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