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☆モノをとても大切にしていた母がいた
東京単身赴任の頃から少しずつ自炊をはじめ、現在高根町で月の内8割位を過ごすようになり、自炊の頻度が増えてきた。昔、単身赴任時代にコンビニ弁当や牛丼屋に頼って、体調、特に肌が調子悪くなり自炊に切り替えてから何となくそれらが治まった経験がある。因果関係がはっきりしている訳ではないが、それ以来自分でバランスを考えながらメニューを決め自炊をしている。中には不味くて食えないものも無いことはないが無理して完食している。しかし、これは逆に身体に悪いかも知れない。
<とある日の朝食と夕食>
・不味くて食べにくいものは段々少なくなってきてはいる。フライパンは大活躍

photo by S.Nozaki

photo by S.Nozaki
調理でフライパンを使う度に、小学校の家庭科の授業での出来事を思い出す。学校で目玉焼きとほうれん草の炒め物を作ると言うのでとても楽しみにして、母が大切に使っていた黒い鉄のフライパンを持参した。特別室での家庭科の授業になり、周辺の友達が取り出したフライパンを見ると当時流行りの焦げないテフロン加工のものがほとんどだった。そしてとても新しく綺麗だ。自分のものは黒く使いこんだちょっと時代が違うようなフライパンに見え、『あ~、やだな。恥ずかしいな。うちは貧乏なのかな。』と、調理を楽しみにしていた気持ちが一変してしまった。その時、先生が私にこの黒いフライパンを前に持ってくるように声をかけてきた。『え~、皆に見られちゃうよ。嫌だな、虐められるかな。』ととても心配になったのを思い出す。
しかし黒いフライパンを手に取った先生が発した言葉は意外なものだった。「これはとても丁寧に手入れして使っているね。皆さん、道具というものはこうして大切に使うんだよ。」と。確かそんな内容の話をしてくれた。鉄のフライパンは食べ物がこびりつくことがあるし油も少しずつ蓄積する。母は使用後にいつもタワシで手入れをしていた。先生はそんな繰り返しを経たフライパンを見てお話をしてくれたのだろう。その時はとても嬉しく、「おかあちゃん、有難う」と母を自慢したいと思った。しかし、この話を母にしたかどうかは忘れてしまったなぁ。もし、伝えていたら母は私以上に喜んでいたかも知れない。
母は流行に鈍感と言うか、一度手にしたものをず~っと使うタイプだった。例えば、軽いスチームアイロンが普及しだしても、いつまでも霧吹きと古い重いアイロンを「ビシッとしわが取れるから」と洗濯屋さんみたいなことを言って使い続けていたものだった。当時はあまり裕福でなかったから「もったいない」との気持ちもあったのだろうが、根はモノをとても大切にする人だったと思う。ちなみに、茶碗にご飯が一粒でも残っているときつく叱られる家でもあった。
そうした母のDNAを引き継いだこともあるだろうが、あの家庭科授業時の出来事が今もとても強く心に刻まれており、自分にとっては「モノを大切にする」心を育んでくれたとても良い授業だったと感じている。あの時、目玉焼きとほうれん草炒めをどう作ったかは全く覚えていないが。
高根町の家でフライパンを使う度に、あの授業と母を思い出しながら、フライパンはもちろん、ログハウスも庭いじりの道具も薪ストーブも丁寧に大切に使っている。そしてモノは道具だけでなく食べ物も同様。だから料理がどんなに不味くても自分は絶対残さないで食べているし(註:妻の手料理は美味しい)、買った食材を無駄にしない様にしている。モノを大切にしていると何か良い事がありそうな気もする。
<現在愛用のフライパン 2枚>
・大切に大切に使ってます

photo by S.Nozaki
デュアルライフの中でこんな出来事と母を思い出したりしているが、長男と次男が自分の歳になった頃、どんなことで自分を思い出してくれるかな~。
「とうさんは、いつもお酒ばかり飲んでいたね。」と居酒屋を通る度に思い出すのかな。
2月28日は母の命日。今年は忘れない様にします。
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