十五歳の手紙

人生雑感
<15歳の時に貪る様に読んだ「二十歳の原点」シリーズ>

photo by S.Nozaki

52年間もよく蔵書していたものだと我ながら感心する

 

~心のインプット不足になっていたのかな?~

八ヶ岳南麓と多治見のデュアルライフをスタートしてから、人生の緩やかな下り坂をゆったりと景色を楽しみながら歩めていると思う。お世話になった方々に感謝しかない。南麓の果樹園の仕事は楽しいし仲間にも恵まれている。多治見に帰った時は改めて故郷の良さを発見する。そして、時折小さな旅に出かけて日本を再発見している。特に果樹園の仕事は身体も頭も適度に働かすので心地よい疲労感があるし、更にお小遣いまで頂ける!まあ、世間の常識と照らし合わせても幸せな老後だろうなぁ~。

<板に付いてきた農作業>
・サクランボをどう剪定するか思案している

photo by M.Koseki

そんな平穏な暮らしの中で、頭と指の体操のため、友人・知人への近況報告のためにYouTubeを始めて、それなりのチャレンジもしているが、最近、時折心が乾いている感覚を持つことがしばしばだ。現役時代は、日々勉強でかなりの読書量があったし、講演会等にも相当頻繁に出かけて行った。今更、あのサラリーマン生活に戻る気は更々ないが、何か心のレジリエンスを鍛える様なインプットが必要だと本能的に感じる。

<私のYouTube第一号>
・稚拙極まりないが大きなチャレンジではあった

 

デュアルライフを始めて大きく変わったのは、読書量の激減だと思う。退職後、「人生の整理整頓だ!」と大量の蔵書を断捨離してしまった。いざとなればキンドルで読めるらしいし(私はキンドル派ではないが)、何でもネットで調べられるだろうと、身の回りをきれいさっぱりとし、生活の質を別次元へと変えてしまったのだろう。TVを捨てたのは正解だったと思うが、気が付けば今年読んだ本の数は両手に満たない。心へのインプットがなければ、アウトプットは無機質になってしまうだろう。このままではこの絵に描いた様な老人になりそうだ、AIで描かれている如く!

<AIで生成した画像>
・八ヶ岳南麓で一人暮らしする定年退職男性と指定した結果

by AI

そんな、今後の生活への不安が見え隠れし始めた時、多治見に残した断捨離しきれなかった数少ない蔵書をパラパラめくってみた。開高健、落合信彦、伊集院静、民俗学関係、フーテンの寅さん関係、何故か一生懸命研究していたトイレ関係、投資関係等、今思い返せば私の人生にかなりのインパクトを与えたものばかりだ。その中で最も古い蔵書が、高校一年(15歳)の時に買い求めた「二十歳の原点」「二十歳の原点序章」「二十歳の原点ノート」三部作だ。私と同年代の方なら多くの方が知っていると思う。

立命館大学の学生であった高野悦子さんが、学生運動や部落問題、そして社会人との付き合いの中で自分を見つめ続け「未熟であることが私の二十歳の原点である」との言葉を残して1969年6月24日に鉄道自殺し、その二年後彼女の日記が出版された。それがこの原点シリーズである。当時は多くの大学生・高校生が貪るようにこの日記を読んでいた。

当時私もその一人であった。深い考えはなく、おそらくそうした流行に身を置いていただけだと思う。ただ、私が15歳の時に買い求めたこの本を、断捨離せずに今も残してあったのは何か心に深く浸み込んだものがあったのだろう。何十年ぶりにめくってみるとラインマークしたり、顔から火が出るくらい恥ずかしいメモが残されていたりした。当時の未熟な自分なりに心がのたうち回りながらも読み込んでいたのだろう。

二十歳の原点の中の「くよくよしているだけなら、誰にでもできる。その状態を脱して、希望を持て!行動を起こせ!」と言う部分にラインマーカーが引かれていた。15歳の自分よ、良いところに気付いていたじゃないかとポンと肩を叩いてあげたくなる。また、「酔ったふりをして酔おう。その無責任さから、どんどん人と話し合おう」との一言にも印をつけていた。君は将来の自分を正確に予言している様だな、とも感じ入った。まさしく私版「15歳の手紙」だ。

南麓の生活は楽しいし、多治見に帰ると生活の安心感が増幅する。それは「生活」や「経験」が更に広がり、誠に有難いことだと思う。一方、読書を通じて得た心のよりどころや葛藤、ねじ切れるような思いは「生きる」ことを深堀りをする作業だと思う。最近、楽しい「生活」が続いていたので、そうした「生きる」心へのインプットが疎かになっていた様な気もする。そのインプットの一つ「読書」って人生とは切っても切れない関係にあると改めて思う。

そんな思いの中で、伊集院静香の「大人の流儀 またどこかで」を買い求めて読んだ。この方、男としても憧れますよね。前妻の夏目雅子さんがこの方に惚れるきっかけが、薔薇と言う漢字をさらさらとこともなげに書いたことだったそうです。それを知って私は必死に練習しましたよ、薔薇と言う漢字を。なお、夏目さんは新婚間もなく白血病で亡くなられました。

この「またどこかで」の最後に、「人々はいろんな事情をかかえて、それでも平然と生きている」と書かれていました。そうですよね、何かあっても平然と生きる、生きなくてはならないんですよね。これを、67歳の手紙として未来の私に送りましょう。さて、この「またどこかで」を読み返すのは何年後でしょうか?

・皆さん、この感じ書けますか?

薔薇

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