photo by S.Akutsu
でも、身体の悩みも抱えております
☆生き上手になろう!
南麓に居を構えた時、人生を楽しむために三つの方針を立てた。①身体をつかう、②頭を使う。③お金も(賢く)使う、これら三つに沿って我がデュアルライフはそこそこには充実してきたと思う。果樹園のパート仕事は程よい、時にはきつめの負荷があり、仕事には工夫も必要なので身体にも頭にも新鮮な刺激になる。昨年から始めたYouTubeは、企画・撮影・編集への流れがとても楽しい作業だ。少しでも視聴回数が増えると嬉しい。昔から身に着いた貧乏性は変え難く、何かにお金を使う時はどうしても躊躇することもしばしばだが、QOLを高める出費は賢く出来ていると思う。お蔭で定年退職後の生活は楽しく有難い限りだ。
ただ、加齢とともに肉体そのものの衰えには抗い難く、ここ1年私を悩ましているのは、頸椎ヘルニアによる左手指の痺れや肘と肩甲骨の痛み、坐骨神経痛による着座時の痛みや右下肢の痺れだ。まあ、物心ついた時からの自分を振り返ると、怪我や病気の連続で健康体であった時の方が少ないと改めて思う。小さい頃の写真は必ずどこかに包帯を巻いていた。まあ、おっちょこちょいだったのだろう。忘れられない怪我は、親父のオートバイに跨って大人の真似をしてバイクと共に倒れて右手薬指を欠損したことだ。小指でなくてよかった。小学5年の時はプロレスごっこで左手を骨折して林間学校に行けなかった苦い辛い思い出がある。
<七五三の記念写真>
・二か所も包帯してる。何したんだ?
幼少時はひ弱で、風邪をひくと熱が40度まで上がるので両親はとても心配していた。「かかりつけのお医者さんにこの子は、20歳まで持たないかも知れないから気を付ける様にと言われていた」とお袋が呟いていたことも覚えている。幸い中学で水泳部に入ってからは徐々に丈夫になり、成人する頃には悲しい位に頑健になっていた。なお、水泳部には虚弱体質の私を心配した親父に「身体が丈夫になる」と無理やり入れられた。自分は剣道かテニスをやりたかったのだが。
虚弱体質から脱却以降、今日までいつも何かしら身体に抱えても粘り強く生きてこられたのはこの水泳があったからかなと思う。足も速くなったし、背も伸びた。運動神経も急に発達した。しかし、おっちょこちょいには全く効果がなかったようだ。かかりつけの医者に言われた『20歳までだったかも知れない運命』が此処まで延長出来たのは、『そうした試練を乗り越えることが条件なんだよ』と告げられている様で頑張れる気がする。
今、患っている頸椎ヘルニア・坐骨神経痛に対しても何とか対処しているが、これにはデュアルライフの三方針が当てはまる。先ず、じっとしていては駄目だ。痛みが酷くならない程度で身体は動かしている方が調子は良いし、継続しているストレッチ・軽い筋肉への適度な負荷により、現状を維持出来ている実感がある。特に器具を使ったストレッチは肩こりも収まる副次効果があった。医者にも通ったが彼らが言うことへの盲従はかえって事を悪くする。自分で感じ考えて思い切って止める、または医者を変えることも必要だ。逆に、友人が勧めてくれたところには思い切って通ってみた。それは鍼治療でやや疑心暗鬼だったが、効果はてきめんだった。南麓から新宿まで、治療代よりも高い交通費をかけて通っているが自分なりに賢い出費だと思っている。
<中川式ストレッチベンチ>
・これ効きます。めちゃくちゃ柔軟になりました
こんな感じで二つの悩みをなんとか治めてはいるが、兎に角、無理しないこと。その点、今の環境には感謝だ。そして、忘れてならないものは食事かな。この歳になると、食べ物が貧相になるとやっぱ体調に響くと感じる。コンビニ飯が続くと腹を壊すし、野菜をしっかり摂っていれば通じが良い。そんな「生きる」基本を、七草がゆを食した時に思い返した。食事にも賢くお金を使おうね。もちろんお酒にも。そして生き上手になりましょう。
<多治見では七草粥で松納め>
・長く続いている慣習は大切なことを教えてくれる
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